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COLLECTION DETAILS収蔵品詳細

楠公父子図 Kusunoki Masashige and His Son

昭和18年(1943)/絹本着色 軸装(双幅)

129.0×42.4cm

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教育 非商用 商用

SUMMARY作品解説

「楠公父子」とは鎌倉・南北朝時代の武将楠木正成(右幅)とその息子正行(左幅)のこと。正成は後醍醐天皇の討幕運動に加担し、幕府と敵対。本作は正成が最期を遂げる湊川の合戦を前にした桜川での父子の別れの場面に因む。父正成は行く先のある息子正行に後事を託し再起を期待した。右左幅共に「鉄線描」といわれる強弱の少ない簡明な描線と薄い彩色を用いて、厳粛な場面にふさわしい静謐な画調を作り上げている。外遊が契機となり、日本の古典に改めて目を向けた契月は《経正》、《敦盛》(いずれも京都市京セラ美術館蔵)をはじめ、こうした清澄な歴史画を自らの仕事の一つとした。また同時期に《大楠公》(足立美術館蔵)、《小楠公弟兄》(京都市京セラ美術館蔵)、《楠公》(金蓮寺蔵)も手がけている。

ARTIST作家解説

菊池契月

Kikuchi Keigetsu1879-1955

長野に生まれる。はじめ南画家の児玉果亭に学び、17歳の時、京都に出て内海吉堂に師事。翌年、四条派の菊池芳文の塾に移る。師の勧めで第4回新古美術品展に出品した《文殊》(所蔵先不明)が褒状一等を受賞。明治39年(1906)、師芳文の娘あきと結婚、菊池姓を名乗る。翌年、文展が新設されてより出品を続け、受賞を重ねた。大正7年(1918)、芳文の死去と共に京都市立絵画専門学校教授に就任。同年、京都市に命ぜられ渡欧。エジプト彫刻やルネサンス絵画、キュービズム絵画などに感銘を受け、翌年帰国。京都画壇において四条派を継承しつつ、鉄線描を用いた理知的で高雅な画風を確立した。帝室技芸員、帝国芸術院会員などを歴任。京都市立絵画専門学校校長も務める。

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