ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル( Jean-Auguste-Dominique Ingres)の作品が 1件見つかりました。
Jean-Auguste-Dominique Ingres 1780-1867
アングルは17世紀の大様式を受け継ぎつつその刷新を試みた、新古典主義美術を代表する画家である。ジョン・フラクスマン(1755-1826)の描線の表現力の豊かさに感銘し、デッサンこそかれ自身の抽象性への志向と感受性の対立、知性と感覚の緊張を和解する手段だと思い至った。「デッサンとは芸術の誠実さである」というアングルの有名な言葉は、その表明であろう。 フランス南部の町で、芸術家の父から絵画と音楽の手ほどきを受け、12歳でトゥールーズのアカデミーで勉強を始めた。1797年にパリに赴き、ダヴィッドのアトリエに入門した。1801年に《アガメムノンの使者たち》(パリ、高等美術学校)でローマ賞大賞を獲得したが、国の事情でローマに向かったのは1806年で、1824年まで滞在した。ローマ出発前に肖像画の注文を受け、リヴィエール一家の肖像画や、《玉座のナポレオン》(1806年、ルーヴル美術館)など、ダヴィッドの男性的直線的表現とは異なる、曲線を用いた独自の表現が発揮される。《リヴィエール嬢》(1806年のサロン、ルーヴ美術館)は、13歳の初々しい娘の幾何学的ともいえる造形に、かすかなエロスが漂う。女性の魅力はアングルの創造の源泉として、終生かれの制作を刺激続けることになる。 ローマ時代には《デュヴォーセ夫人》(1807年、シャンティ―、コンデ美術館)のような肖像画のほかに、ナポレオンからの注文で《オシアンの夢》(1813-1835年、モントーバン、アングル美術館)やナポレオンの妹でナポリ王妃ミュラのために、《グランド・オダリスク》(1814年、ルーヴル美術館)などを制作した。 フィレンツェに滞在中に描いた《ルイ13世の誓い》(モントーバン大聖堂)は、1824年のパリのサロンで熱狂的に迎えられ、1827年のルーヴル宮の天井画《ホメロス礼讃》によって、ドラクロワのロマン主義に対する新古典主義の画家としてのアングルの評価は定まった。《ベルタン氏の肖像》(1832年、ルーヴル美術館)などの肖像画も制作したが、ローマのフランス・アカデミーの院長に就任して、再びローマに向かい1841年まで留まった。 帰国後は、《オルレアン公の肖像》や《ドーソンヴィル子爵夫人》(1845年、フリック・コレクション)や《モワテシエ夫人》(1851年、ワシントン、ナショナル・ギャラリー/1856年、ロンドン、ナショナル・ギャラリー)などの肖像画の傑作を残した。《トルコ風呂》(1863年、ルーヴル美術館)は、官能的であると同時に知的に構成されたかれの女性像の集大成となった。