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COLLECTION DETAILS収蔵品詳細

鵜飼 Cormorant Fishing

昭和29年(1954)/紙本着色 額装

41.0×55.0cm

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教育 非商用 商用

SUMMARY作品解説

愛知に生まれ、岐阜で育った玉堂にとって「鵜飼」は特に親しみ深い風物詩で、15歳の頃には師の望月玉泉を連れて、一緒に長良川まで見物しにいったという。玉堂は、明治28年(1895)の第4回内国勧業博覧会に《鵜飼》(山種美術館蔵)を発表し、3等銅牌を受賞。それ以来、「鵜飼」は彼の主要画題の一つとなり、後に第12回帝展にも出品している。さぞかし注文が多かったのであろう、玉堂はこうした出品作以外に構図、画面や人物の大きさ、色彩などを変えて、無数の「鵜飼」を描き残している。本作は玉堂逝去の3年前の作。夏の夜の温潤な空気と金泥に塗られた漁り火と煙、照らし出された鵜匠と鵜の流れるような躍動感を、小品ながら見事にその画面に捉えている。

ARTIST作家解説

川合玉堂

Kawai Gyokudo1873-1957

愛知に生まれる。14歳で京都に出て望月玉泉に師事。明治23年(1890)、第3回内国勧業博覧会で入選。同年、幸野楳嶺門に移る。同28年(1895)、第4回内国勧業博覧会で《鵜飼》(山種美術館蔵)が3等銅牌を受賞。会場で目にした橋本雅邦の《龍虎図》(静嘉堂文庫蔵)に感銘し、上京を決意。以後、雅邦に師事する。同31年(1898)、雅邦と共に日本美術院創設に参加。第1回文展から第12回展まで審査員を務め、《行く春》(東京国立近代美術館蔵)など力作を出品。私塾・長流画塾では300名を超える塾生の指導にあたった。以後も官展を舞台に活躍。昭和15年(1940)、文化勲章を受章。戦中からは奥多摩に身を移し、四季折々の身近な山村風景を描き続けた。

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