1811年頃/油彩、カンヴァス
48.0×38.0cm
西洋絵画 ルネサンスから20世紀まで
会期:2025年01月11日 (SAT)~2025年03月23日 (SUN)
東京富士美術館:新館・常設展示室2
西洋絵画 ルネサンスから20世紀まで
会期:2025年04月12日 (SAT)~2025年06月22日 (SUN)
東京富士美術館:新館・常設展示室3
SUMMARY作品解説
この愛くるしさに満ちた肖像画は、ナポレオン2世、つまりナポレオンがフランス帝国の第二の首都にしようと考えたローマの王の誕生間もない姿を表す。小品ながらコンスタンス・マイユールの表現を充分に嘆賞できる作品といえよう。楕円形の画面が、親密で愛くるしさの描写には効果的である。 ナポレオンは子どもが生まれないという理由で皇后ジョゼフィーヌとの結婚を無効にし、新たな后としてオーストリア皇帝フランツ1世(神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世)の長女マリー=ルイーズと1810年3月に結婚した。翌年3月にチュイルリー宮で難産の末に男児が生まれ、ナポレオン・フランソワ・シャルル・ジョゼフ・ボナパルト(Napoléon François Charles Joseph Bonaparte)と名付けられた。男児ならローマ王の称号を与えようと考えていたナポレオンは、1813年に戴冠式を計画したが、教皇ピウス7世が出席を拒んだために実現しなかった。ナポレオンの退位に伴い母子はフランツ1世を頼ってウィーンに行き、マリー=ルイーズはパルマ公国の一代限りの統治権を与えられてパルマ女公として父のもとを離れたが、幼子は祖父の下にとどめられた。 ナポレオンが歓喜した長男の誕生は、画家たちが肖像画に取り組む格好の機会になった。ローマ王と称号が与えられたことで、ローマ神話を引用した多くの作品が生まれた。マイユールの師ピエール=ポール・プリュードン(Pierre-Paul Prud'hon)は、ローマ建国の伝説の主人公ロムルスとレムスが狼の乳を飲む場面の上に新生児を描いたデッサンを残した。かれの《眠るローマ王、1811年》は、レア・シルウィアが軍神マルスとの子ロムルスとレムスを川に流す場面を想起させる構成になっている。幼児を守るように咲く皇帝の花、別名ヨウラクユリの2つの花はフランスとオーストリアの末裔を、ウェヌスの聖花ミルトは母を、月桂樹は父ナポレオンを、枝にかかる青の布と白のシーツと赤の覆い布はフランス国旗をなど、さまざまな象徴が散りばめられている。さらに左から射す光はあたかも天から射す光のようで、ルネサンス期に描かれた眠る幼いキリスト像を想起させる。ここには聖なるイメージも密かに重ねられているのである。 フランソワ・ジェラール(François Gérard、1770-1837)の《ローマ王》は、楕円形の画面に観者の方を向く幼子を描く。マリー=ルイーズがひそかに注文して、モスクワの戦いに出向いたナポレオンに送ったという肖像画である。皇帝は、子どもながら思慮深げな表情、右手に持つおもちゃのガラガラは笏に似て、左手は権力を象徴する地球儀の上に置かれていること、レジオン・ドヌール最高勲章を胸にかけていることなどをあげて、描かれているのは皇位継承者だと述べて、作者を賞讃した。原作は失われ、フォンテーヌブロー宮殿にレプリカが所蔵されている。 これらに対して、マイユールの半身の肖像は象徴物を描かず幼い子どもの純真なあどけなさを表現する。ふっくらとした頬、語りだしそうな柔らかな唇、穏やかにカールする髪の毛、聡明さを暗示する大きな双眸の輝き、これらが繊細な色彩と巧みな明暗法で表される。ただひとつ、雲の中に浮かんでいるような設定が、至高の存在を暗示するだけである。 安易な想像は慎まねばならないが、ここにはマイユールのひそかな願望が隠されているようにも思われる。彼女は愛人の子を産むこともなく、悲劇的な自殺を遂げた。 この小品はプリュードンが死ぬまで手元に置いていた。かれもまたこの作品に格別の思いをもっていたことの証だろう。
ARTIST作家解説
マリー・フランソワーズ・コンスタンス・マイユール・ラマルチニエール
Marie Françoise Constance Mayer La Martinière1775-1821
フランス革命から復古王政期にかけて活躍した女性画家。肖像画や風俗画、さらに歴史画まで手がけた。 父ピエールは実業家で母はメリヤス商のルノワールの娘で、フランス革命後にフランス文化財博物館を創設したアレクサンドル・ルノワール(Marie1 Alexandre Lenoir, 1761 -1839)はおじにあたる。 ダヴィッドのライヴァルのジョゼフ=ブノワ・シュヴェ(Joseph-Benoît Suvée, 1743 -1807)と、ジャン=バティスト・グルーズ(Jean-Baptiste Greuze、1725-1805)に学んだ。1801年のサロンに出品した《父といる自画像》は2人の師の影響が歴然としている。装飾物をはぎ取った簡素な場面設定はシュヴェを、愛らしい女性像と親密な情景の描写はグルーズを想起させずにはおかない。父が指さすラファエロの頭像を見つめるコンスタンスの真剣な眼差しは、彼女の画家としての大望の表現といえよう。 マイユールにとって、ピエール=ポール・プリュードン(Pierre-Paul Prud'hon, 1758- 1823)との出会いは生涯を決する出来事だった。1803年に妻と別居した画家に、友人たちはマイユールを弟子に取るように勧めたという。プリュードンが1805年頃にパステルで描いた《胴着を着たコンスタンス・マイユール》は、制作中の弟子が師の来訪に思わず顔を向けた瞬間をとらえ、溌溂とした表情の聡明な女性画家を映しだす。かれの愛情が画面からにじみ出ている。プリュードンがエスキースを描きマイユールが油彩画を完成するという共作関係は、1804年の《財産の軽蔑》(エルミタージュ美術館)に始まり、1808年の《ウェヌスの松明》、1819年の《幸せの夢》まで続き、いずれもサロンに出品された。冷ややかな大理石のような絵肌と陰影を用いたコレッジョ風の人体の表現は、プリュードン由来のものだが、テーマには女性画家の時々の心情が投影されているにちがいない。彼女の死によって中断した《不幸せな家族》(所在地不明)は、プリュードンが完成させて1822年のサロンに出品して反響を呼んだ。 マイユールはプリュードンの広く認められた愛人となったが、かれの多くの子供たちの面倒もみて経済的にも助けた。女性画家として活動することの困難や将来への不安とともに、妻が死んでも結婚する意志のないプリュードンに絶望して、マイユールは1821年5月26日、愛人の剃刀で喉を切って自殺した。《幸せの夢》はフォルトゥーナ(運勢の女神)とアモルが舵を取る小舟に、夫に抱かれて眠る妻と子が描かれる。マイユールの願った世界は、絵画の世界でしか実現しなかったのである。
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INFORMATION作品情報
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