安政4年(1857)閏5月/木版多色刷 大判錦絵
35.7×24.2cm
2025年03月29日 (SAT)~2025年05月25日 (SUN)
江戸から近代へ─東京富士美術館浮世絵所蔵展
創価美術館(台湾、高雄)
SUMMARY作品解説
「十万坪」は現在の江東区千田および千石周辺に当たる。享保8年(1723)から行われた干潟の埋め立てにより10万坪に及ぶ新田が開発されたため、「十万坪」と呼ばれていた。高潮の被害が発生するなど居住には適さない土地で、一時幕府が鋳銭場(いせんば)を置いたりしたが、寛政8年(1796)には)には一橋(ひとつばし)徳川家の所有となった。江戸時代後期には、この付近は春の海辺での潮干狩りや初日の出、月見を楽しめる名所として人気を集めるようになり、海岸に面した洲崎弁天社(すさきべんてんしゃ)(現在の洲崎神社)にも多くの参拝者が訪れていた。天保年間に出版された広重の『東都名所』や『江都名所』などのシリーズでは、そのような潮干狩りや初日の出、洲崎弁天社の賑わいの様子が描かれている。 広重は『名所江戸百景』で再び同地を描くにあたり、それまで描いた題材から大きく趣向を変えて、海側からの鳥瞰(ちょうかん)という大胆な構図によって、湿地帯の荒涼とした冬の雪景として描き出した。しんしんと雪が舞う浜辺に静けさが漂う一方で、大きく翼を広げた鷲が上空から獲物を狙う様子は躍動感に溢れており、この静と動の対比が本作の大きな魅力となっている。遠方には、富士山と並ぶ関東の霊峰、筑波山が静かに下界を見下ろしている。
ARTIST作家解説
歌川広重
Utagawa Hiroshige1797-1858
13歳の時、家督を継ぐと同時に父母を亡くす。15歳で歌川豊広の門に入り、広重と名乗る。師豊広が没し、天保2年(1831)に《東都名所》、翌3年(1832)に代表作ともなる《東海道五拾三次之内》を版行。風景画家として不動の地位を築く。以後、注文が相次ぎ、渓斎英泉と作品を分け合った《木曾海道六拾九次》など、詩情豊かな名所絵を多く手がけた。最晩年、画技を凝縮した《名所江戸百景》を発表し掉尾を飾った。
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