SUMMARY作品解説
児島高徳は南北朝の武将。高徳は後醍醐天皇の倒幕計画に呼応し、備前(現在の岡山県)にて蜂起。後に天皇が隠岐配流となると、奪還を企てたが失敗。天皇一行が宿泊した夜、警備の目を盗み宿所の庭に入り、桜の木に「天勾践を空しうすることなかれ、時に范蠡なきにしもあらず」と刻み、天皇を激励したという。勾践と范蠡は中国・春秋時代の主君とその主君の危機を救った参謀のこと。本作ではまさに高徳がその言葉を刻み込まんと小刀を抜き出した刹那の場面が描かれる。歴史画で名士として知られた米僊の本地を窺い知れる佳品といえよう。
ARTIST作家解説
久保田米僊
Kubota Beisen1852-1906
京都錦小路(現在の京都府京都市中京区)に生まれる。名は満寛。字は簡伯。鈴木松年に師事。26歳の頃、父より画家になることを許される。明治13年(1880)の京都府画学校開校に向け、幸野楳嶺とともに献身。第1回内国絵画共進会で審査員を務め銅賞受賞。翌第2回展で歴史画の先駆的作品《朧月夜図》を発表。銀賞を受ける。同22年(1889)、パリ万国博覧会で金牌受賞し視察のために渡欧。翌年、国民新聞社に入社。同26年(1893)、シカゴ万国博覧会に出品。自ら特派員として視察。同27年(1894)、日清戦争に従軍し現地の様子を写生する。第1回日本絵画共進会で一等褒状を受賞し、翌年、岡倉天心の誘いで石川県工芸学校に赴任するが、2年後眼病を患い辞職する。その後、完全に失明。同35年に『米僊画談』を上梓した。55歳で没。
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