寛政10年(1798)頃/絹本着色 軸装(三幅対の内)
126.5×50.0cm
SUMMARY作品解説
三幅対の体を成しているが、各々の関連性は薄く、おそらく中幅が描かれた後に左右の二幅が加えられたと思われる。中幅では嘉嶋浦(現在の愛媛県宇和島市周辺)や魚津浦(現在の富山県魚津市周辺)で発生した蜃気楼の模様が描かれ、上部には旭江と交友のあった皆川淇園の筆でその詳細な記事が認められている。蜃気楼によって、無数の人魂のような燈とともに巨大な岩山が海上に浮かび上がるという信じがたい光景が克明に描かれている。
ARTIST作家解説
円山応瑞
Maruyama Ozui1766-1829
京都に生まれる。円山応挙の長男。名は応瑞。字は儀鳳。通称を右近。父の死後、同じ主水を襲名した。22歳の頃、父応挙とともに大乗寺の障壁画制作にあたり、《遊鯉図襖》を描き、寛政2年(1790)に寛政度御所造営にも参加した。寛政7年(1795)に応挙が没した後は円山派の主宰として門弟をとりまとめ、派の繁栄を維持した。父の画法を守り、花鳥、人物、山水をよくした。傷みの激しい応挙作の修理なども行った。64歳で没。
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