天保4-5年(1833-34)/木版多色刷 横大判錦絵
22.6×34.4cm
SUMMARY作品解説
現在の静岡県掛川市にあたる。西行法師が新古今集で「年たけて また越ゆべしと思ひきや 命なりけり佐夜の中山」と詠ったことで知られる。その急勾配の坂は東海道の難所の一つであった。坂下の石は、金谷宿の夫を訪ねる途中に山賊に殺された妊婦の霊が乗り移ったとされ、夜中に泣き声が聞こえてくるとの謂れから「夜泣石」と呼ばれた。後に妊婦の赤子は村人に助けられ、飴で育てられたといい、以来「子育て飴」はこの地の名物になった。
ARTIST作家解説
歌川広重
Utagawa Hiroshige1797-1858
13歳の時、家督を継ぐと同時に父母を亡くす。15歳で歌川豊広の門に入り、広重と名乗る。師豊広が没し、天保2年(1831)に《東都名所》、翌3年(1832)に代表作ともなる《東海道五拾三次之内》を版行。風景画家として不動の地位を築く。以後、注文が相次ぎ、渓斎英泉と作品を分け合った《木曾海道六拾九次》など、詩情豊かな名所絵を多く手がけた。最晩年、画技を凝縮した《名所江戸百景》を発表し掉尾を飾った。
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