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イポリト=ポール・ドラローシュと工房( Hippolyte-Paul Delaroche and his workshop)の作品が 1件見つかりました。

イポリト=ポール・ドラローシュと工房

Hippolyte-Paul Delaroche and his workshop 1797-1856

19世紀フランス美術におけるアカデミスムの展開におおきな役割を演じた画家のひとり。父のグレゴワール=イポリト・ドラローシュ(Grégoire-Hippolyte Delaroche, 1761-1839)は著名な画商で、おじには王立図書館版画部門の学芸員がいた。 1816年に美術学校に入学して、ルイ=エチエンヌ・ヴァトレ (Louis-Etienne Watelet, 1786-1866)のアトリエに学んだ。ヴァトレは歴史風景画の画家で、ローマ賞大賞歴史風景画部門の最初のコンクールの開催はこの年であった。ドラローシュは馴染めなかったのか、1818年にはアントワーヌ=ジャン・グロ(Antoine-Jean Gros, 1771-1835)のアトリエに入った。グロはダヴィッドに学び、師がベルギーに亡命後は新古典主義美術の領袖となったが、ドラクロワの才能をいち早く認めたひとりでもあった。新古典主義的でもロマン主義的でもない折衷的としばしば批判されたドラローシュの表現は、個人の資質とともにグロの影響もあったにちがいない。 初めてサロンに参加したのは1822年のことで、旧約聖書の『列王記下』(11)に語られるイスラエル王ヨアシュの幼少時代のエピソードを描いた《ヨシュバに救われるヨアシュ》(トロワ美術館)は、ジェリコーが高く評価した。ドラクロワもこの年《地獄のダンテとウェルギリウス》(ルーヴル美術館)で、サロンにデビューしている。1824年のサロンには《監獄でウィンチェスター枢機卿に尋問されるジャンヌ・ダルク》(ルーアン美術館)などを展示し、その後サロンには続けて参加した。シェークスピアなど当時のフランスのイギリスへの関心を背景に、1827年には《エリザベス女王の死》(ルーヴル美術館)を出品したが、これがイギリス史を題材にした作品の始発となった。1831年のサロンには《エドワード5世と弟のヨーク公》(ルーヴル美術館)、1833年には《ジェーン・グレイの処刑》(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)を出品して公衆から熱狂された。ロンドンに留学した夏目漱石はその経験を書いた『ロンドン塔』(1901年)で、これらの作品に触れて作者ドラローシ(ドラローシュ)の名をあげている。 1830年の7月革命では、アングルやドラクロワらとともに暴動の襲撃からルーヴルを守り、1832年には美術アカデミーの会員、翌年には教授に選ばれ、トマ・クチュールやジャン=レオン・ジェロームなど後にポンピエと呼ばれるアカデミスムの中心となる画家を教えた。フランス史を題材にした作品には、1830年の《マザランの死》(ウォレス・コレクション)、1833年にはオルレアン公から注文された《ギーズ公の暗殺》などがある。 1833年にパリのマドレーヌ聖堂の装飾を依頼され、翌年に調査のためにイタリアへ赴いた。1835年に帰国する前にローマでオラース・ヴェルネの娘ルイーズと結婚した。 1836年、義父のヴェルネとともに審査が不公平という理由でサロンには参加せず、終生作品を送らなかった。この年にかれの代表作で美術観の表明ともなったパリの美術学校の半円形講堂(エミシクル)の壁画の注文を受けた。ラファエロの《アテネの学堂》(ヴァティカン宮殿)とアングルの《ホメロス礼讃》(ルーヴル美術館)を手本に、フィディアスとイクティノスとアペレスという、古代ギリシアの彫刻家、建築家、画家を一段高く中央に据え、ドラローシュが選んだ総計75名のヨーロッパ各国の芸術家を左右に配した。 ドラローシュがイギリスの老貴族サンドウィッチ侯爵夫人から《書斎のナポレオン》の注文を受けたのは1838年で、これが生涯にわたってかれが描き継ぐナポレオン像の始発となった。侯爵夫人の次女カトリーヌ・カロリーヌは、ナポレオンがポーランド女性との間に設けたアレクサンドル・コロンナ・ワレフスキ(Alexandre Colonna Walewski, 1810-1868)と1831年に結婚している。 美術学校の壁画は1841年7月に披露されて大きな反響を呼び、かれはウィーンやローマ、アムステルダム、サンクトペテルブルクなど各地のアカデミー会員に選ばれた。 肖像画の制作が増えて、著名な美術愛好家《ジェムス=アレクサンドル・ド・プルタレス=ゴルジエ》(1846年、ルーヴル美術館)は正確で精密な描写、大理石のように冷ややかな筆触などアングルに比肩する出来栄えである。早すぎる妻の死を描いた《死の床の画家の妻、ルイーズ・ヴェルネ》(1845年、ナント美術館)と《若き殉教者》(1854-1855年、ルーヴル美術館)は、かれの夢想的、幻想的なものへの接近を示す作品である。 1856年11月に息子たちが見守るなか59歳の生涯を閉じた。

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