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記念講演会「新出《伊東マンショの肖像》を読み解く―ヤーコポおよびドメニコ・ティントレットの工房との関係から―」

内容
2014年3月に再発見が報じられたドメニコ・ティトレットの《伊東マンショの肖像》が、昨年の東京と九州2県での初公開に続いて、今回「遥かなるルネサンス」展に来日した。描かれているのは、天正遣欧少年使節4人のうちの筆頭正使、日向(宮崎県西都市都於郡)の領主の子。1585年、使節はローマで教皇グレゴリウス13世に拝謁したあと、イタリア各地をめぐって帰途に就く。ローマについで長く滞在したヴェネツィアを去る2日前、同地の元老院はいとま乞いに訪れた4人を1枚の記念画に描かせることを決めた。同時代資料から、注文されたのはティントレットとわかるが、その記念画は完成されなかった。
ティントレット工房は、父ヤーコポの活躍によりヴェネツィアで大評判となり、娘の女性画家マリエッタと息子ドメニコの没後は、別の娘オッタヴィアの婿セバスティアーノ・カッセールによって経営されていた。1678年、本肖像画はその工房からローマ教皇庁駐在スペイン大使の7代カルピオ侯爵ガスパル・デ・アロによって「ヤーコポ・ティントレットの手になる日本のドン・マンショの肖像」として買い取られた。
現在の所有者が絵のX線撮影やキャンバス裏面の銘文の調査をした結果、古い時代の西洋絵画の新出作品では極めて稀なことだが、画家工房を出てから現在に至るまで、来歴が途切れずにたどれるという出自の確かな肖像画とわかった。だが、所有者が入れ替わる間に肖像のモデルについては「ドメニコ・ティントレットの無名人物の肖像」あるいは「ヴェネツィア派の東洋人の肖像」というようにわからなくなることもあった。
今回、さらに調査したところ、X線写真で判明する肖像画表の銘文とそれを裏に転写した銘文は、少年使節がヴェネツィア政府に奉呈した1585年7月2日付け四人連署の感謝状(今回の「遥かなるルネサンス」展に展示、カタログNo. 54)の記載に基づくことが判明。描いたのは、肖像画制作で名声を博した息子ドメニコであるとみて間違いない。ドメニコは他の注文肖像画、《マルコ・パスクアリーゴの肖像》(ヴェネツィア、コッレール市立美術館)のために油彩による下絵(ヴェローナ、カステルヴェッキオ市立美術館)を描いている。
凛々しい面立ちの伊東マンショは、7月にしては厚手の、ヴェネツィア貴族の優雅な衣装を纏っている。X線写真から、画布は切り詰められ、帽子は筒型の山高帽からフェルト製の丸帽子に、ラットゥーガと呼ばれる襞襟は17世紀に流行する大きな襞襟に塗り変えられたこともわかる。
元老院が発注しながら未完に終わった記念画の下絵素描の探索を試みたところ、オースティンのテキサス大学ブラントン美術館に所蔵されるドメニコ・ティントレット作《ある紳士の肖像》が、《伊東マンショの肖像》に絵のサイズ、顔貌や肖像の形式および技法の点で酷似することを発見。美術館にそのX線写真を撮影していただくと、肖像の下層に、右手で帽子を支え持つ下絵素描があらわれた。手に帽子をもった天正遣欧少年使節の画像はよく知られていたので、ブラントン美術館の絵画表面の下に伊東マンショの最初の下絵素描が認められると結論できる。
つまり、今回展示された《伊東マンショの肖像》は、ヴェネツィア元老院が発注しながら未完に終わった記念画の下絵素描から、別に売り絵として、帽子をかぶるヴェネツィア風の男性肖像画に描きかえられた。(講演要旨)
期間 | 2017年10月28日(土)14時〜15時(開場13時30分) |
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申込 |
不要。定員200名 |
会場 | 東京富士美術館/本館 ミュージアムシアター |
料金 | 無料(ただし、展覧会の入場料金が必要、土曜は中小生無料) |
出演者・登壇者 | 講師:小佐野重利(おさの・しげとし) |
開催形態 | 現地開催 |
展覧会 | 遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節がたどったイタリア 詳細 |