1905年、パリ/エッチング
SUMMARY作品解説
本作は、ルーヴル美術館所蔵のディエゴ・ベラスケスの作とされていた《王女マルガリータ》に基づき、マネが制作した水彩画に由来していると見られる。マネが生涯交友することになるエドガー・ドガとルーヴル美術館で出会った際、ドガは同作をまさに銅版に写そうとしていたという。マネは本作に取りかかったものの、版の初段階で手を入れることを放棄してしまった。見てのとおり、髪の毛の陰影や背景とのコントラストの点では原作の雰囲気を感じさせるものの、目や服装の描写がやや稚拙で、マネ自身も出来ばえに納得がいかなかったものと考えられる。
ARTIST作家解説
エドゥアール・マネ
Édouard Manet1832-1883
パリ生まれ。トマ・クチュールの画塾で学ぶ。ディエゴ・ベラスケス、フランシスコ・デ・ゴヤなどのスペイン絵画のもつ強烈な明暗法や表現力に感化され、新しい表現方法を試みた。1863年のサロンに落選した《草上の昼食》(オルセー美術館蔵)が、いわゆる落選展に出品され、スキャンダルとなり、2年後のサロンに入選した《オランピア》(同館蔵)とともに激しい非難を浴びた。「カフェ・ゲルボワ」での集いを中心にクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールとも交友し、印象派の生みの親と言われる。彼の芸術の本領は人物画にあり、近代生活を新鮮な感覚と明快なタッチで描出するのが得意であった。
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