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COLLECTION DETAILS収蔵品詳細

死せる闘牛士(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より) The Dead Bullfighter (Portfolio of 30 Original Etchings by Édouard Manet)

1905年、パリ(1864年初版)/エッチング

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教育 非商用 商用

SUMMARY作品解説

本作は1864年にマネがサロンに出品した《闘牛士のエピソード》(下部にあたる《死せる闘牛士》はワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)の一部を版刻したものである。一部というのは、マネはこの作品をサロン閉幕後、上下に裁断してしまい、その下半分をモティーフとしているからである。元々の作品では上部に小さく描かれた牛と観客が配されていたという(上部のうちの一部は《闘牛》と題してワシントンのフリック・コレクションに収蔵されている)。本作では倒れた闘牛士の姿態や肩から床に広がる血だまりなど、原作に勝るとも劣らない描写を適えるとともに闘牛士の死という厳粛な題材を巧みに描出している。

ARTIST作家解説

エドゥアール・マネ

Édouard Manet1832-1883

パリ生まれ。トマ・クチュールの画塾で学ぶ。ディエゴ・ベラスケス、フランシスコ・デ・ゴヤなどのスペイン絵画のもつ強烈な明暗法や表現力に感化され、新しい表現方法を試みた。1863年のサロンに落選した《草上の昼食》(オルセー美術館蔵)が、いわゆる落選展に出品され、スキャンダルとなり、2年後のサロンに入選した《オランピア》(同館蔵)とともに激しい非難を浴びた。「カフェ・ゲルボワ」での集いを中心にクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールとも交友し、印象派の生みの親と言われる。彼の芸術の本領は人物画にあり、近代生活を新鮮な感覚と明快なタッチで描出するのが得意であった。

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