JP

COLLECTION DETAILS収蔵品詳細

深天上按図 From the Deep Sky

明治2年(1869)/絹本着色 軸装

165.5×82.8cm

画像のご利用について
教育 非商用 商用

SUMMARY作品解説

ARTIST作家解説

奥原晴湖

Okuhara Seiko1837-1913

下総古河町(現在の茨城県古河市)に生まれる。本名は池田せつ。はじめ谷文晁門の枚田水石に師事。古河藩での女子の単身出府がかなわず、関宿藩の奥原家に養女入りし、江戸に出る。慶応元年(1865)、画室を構え、「墨吐煙雲楼」と称し、晴湖を名乗る。この頃、中国清代の画家鄭板橋に私淑する。明治維新以降、知識階級の中で文人画が隆盛し、木戸孝允などとの交友ができる。明治6年(1873)、安田老山が中国遊学から帰国すると文人画人気に拍車がかかり、晴湖は当時数少ない女流画家として、その豪放な筆で人気を得る。門人は多い時で300人を数えたという。後、同12年(1879)、「龍池会」でのフェノロサの講演を機に文人画人気が凋落。同24年(1891)、熊谷にて隠棲に入る。晩年、筆致は穏やかとなるが作画の意欲は衰えなかった。77歳で没。

同じ作家の作品一覧

EXPLORE作品をもっと楽しむ

全国の美術館・博物館・アーカイブ機関を横断したプラットフォームでコンテンツを検索・閲覧でき、マイギャラリー(オンライン展覧会)の作成などができます。