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「とことんみせます!富士美の浮世絵」出品作品紹介(7)

開催中の浮世絵展の展示作品を随時ご紹介します。

柳斎重春
三代目中村松江のおその、三代目中村歌右衛門の毛谷村六助
天保1年(1830)

 「彦山権現誓助剣」は仇討ちの話。主人公は暗殺された吉岡一味斎の娘お園。武芸の達人で力持ちのお園が、許嫁の毛谷村六助とともに、敵の京極内匠を討ち果たす。このような武芸が秀でた女性の役を「女武道」という。この話は、1786年に梅野下風と近松保蔵によって人形浄瑠璃として書かれたが、大当たりして、歌舞伎でも上演されるようになった。
 本作は「毛谷村」の場面。六助は、剣の師であった吉岡一味斎の娘、お園と出会い、彼女が自分の許嫁であること、そして師が京極内匠に殺されたことを知る。そうこうするうち、村人が老母を殺されたので敵を討ってほしいと訴え来る。そして先日六助が仕官を手助けした浪人、微塵弾正が老母殺しの犯人であると分かる。騙されたと怒りに震えた六助が庭の敷石を踏みつけると、なんと石は地面にめり込んでしまう。そしてその微塵弾正こそ、師の敵であることも分かる。お園が抱くのは、返り討ちで京極内匠に殺された妹お菊の遺児であり、子どもながらに母の敵討ちを誓う。
(本作は前期のみ展示)

柳斎重春 [享和2年〜嘉永5年(1802−1852)]
 重春は、文政4年頃から天保年間(1821−1844)にかけて活躍した上方の浮世絵師。享和2年(1802)に長崎に生まれ、幼少時に父と大阪に出、絵師としての修行を積んだ。独学で絵を学んだとの説もあるが、国広や江戸の絵師柳川重信に師事したと考えられている。役者のひいき筋の人間が余技として浮世絵を制作していた上方において、最初に職業浮世絵師となった人物である。その力量は同時代の北英と双璧をなしている。

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