※ロイヤル・アカデミー展の開会式でのスピーチをあらためてご紹介申しげます。
ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ ル・ブラン会長のスピーチ
このたびの展覧会は、18世紀と19世紀に英国で活躍した多くの著名な画家の作品を、これまでほとんど目にしていただくことができなかった方々にお披露目できる素晴らしい機会となりました。
それだけではありません。この展覧会の開催は、西洋の芸術愛好家がこれまで日本の芸術と文化から授かってきた大いなる喜びを、日本の芸術愛好家の皆さまに少なからずお返しできる機会となることを願ったものでもあります。
英国と日本の芸術交流の歴史と伝統に、本展覧会が新しい1ページを加えることになるわけですが、英日の芸術交流史は、実に1870年代にさかのぼり、特に1900年代の日本政府の海外留学生助成活動によって促進されました。
そうした日本人留学生の多くが、ロンドンのロイヤル・アカデミーの各分野で学びました。著名な建築家である竹腰健造(1914年に入学)もその一人です。
ロイヤル・アカデミーは、他のヨーロッパのアカデミーや国立美術学校とは違い、教育を行う上で特定のカリキュラムや系統だった学習課程(コース)を設けたことがありません。
それは、ロイヤル・アカデミーが一時的な流行や風潮に流されず、深い目的観を学生たちに教え、学生自らの真摯な自覚へと導くことを最優先にしてきたからです。
私自身の結論の裏付けとして、1900年代にロンドンを拠点として活動した、最も著名な日本の芸術家の一人、原撫松の言葉を借りたいと思います。
「英国の学生たちは、芸術を追求することにかけて実に熱心で誠実だ。これはすばらしいことだ。(中略)われわれ日本人にとっては英国風の絵画よりフランス風の絵画の方が趣味にあっているとも言える。だからこそ、僕は英国に来れたことを喜んでいる。(中略)自分の中に不足しているものこそ、しっかり学ばなくてはいけないのだ。その意味で、ジョンブル(英国人の俗称)たちはわれわれ日本人にとって最高の先生だ」(牧野義雄著『述懐日誌』恒松郁生訳、豊田市教育委員会)
100年前に、原撫松がこのように広い視野で称賛してくれた英国芸術を、本日ご来臨の皆さまにご堪能いただけるよう念願しております。
(写真:サマー・エキシビションを開催中のロイヤル・アカデミー、2007年)