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「光の賛歌 印象派展」出品作品紹介

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)
《ブージヴァルのダンス》
1883年 油彩/カンヴァス 181.9×98.1 cm
右下に署名、年記:Renoir. 83.
ボストン美術館

人物画家のルノワールが、セーヌの水辺のスポットとして人気があったブージヴァルを舞台に描いた「現代生活」のスナップショットであるとともに、記念碑的な彫刻を想わせる「現代人の肖像」である。ブージヴァルはパリの西方15kmにある水辺の行楽地で、セーヌ川が右に大きく蛇行を始める左岸にある。1882年、ルノワールはイタリアから帰国後、踊る男女を描いた3点の大作に着手し、1883年春に完成させた。同年4月、そのうちの2点《都会のダンス》《田舎のダンス》(ともにオルセー美術館)は、デュラン=リュエルがパリで開催した初めてのルノワールの個展に出品され、本展で展示されている《ブージヴァルのダンス》は、やはり同月、デュラン=リュエルがロンドンで開催した「印象派協会展」に展示された。当時の価格は600ポンドとの記録が残っている。《ブージヴァルのダンス》と《都会のダンス》の女性モデルを務めたのは、画家のための職業モデルだったマリー=クレマンティーヌ・ヴァラドンで、《田舎のダンス》の女性モデルはアリーヌ・シャリゴ(のちのルノワールの妻)である。本作に描かれている女性マリー=クレマンティーヌは、当時まだ17歳の少女だったが、1883年12月に私生児を出産。生まれた男の子が後の画家モーリス・ユトリロである。ルノワールが父親なのではないかとの推測もある。マリー=クレマンティーヌ自身も後に絵を学び、女性画家シュザンヌ・ヴァラドンとして有名になった。一方、男性モデルはルノワールの友人で美術愛好家のポール・ロートとされる(異説あり)。ロートは同年秋に発表した短編小説の一節に「一番のワルツの踊り手であるボート漕手の金髪の男の腕に、彼女はうっとりと身を委ねながらワルツを踊っていた」と記したが、この場面は絵画の中の出来事を追想したものであろう。ブージヴァルは上流階級の社交場のように洗練されすぎてもいなければ、近隣のラ・グルヌイエールのように大人の出会いを求める男女が集まるような場所でもなく、「中流」の品の良いカップルが訪れるセーヌ川沿いの行楽地であった。そうした場の雰囲気に呼応するように、ダンスを踊る男女の服装も決して上流階級のものではない。女性が着ているツーピースのデイ・ドレスは、オートクチュールではなく、おそらく既製服として普及していたもので、庶民も最新の流行のファッションを身につけることができるようになった時代を反映していよう。淡いピンク色のコットンのアンサンブルは、1880年代前半に人気のあった夏の服で、縁取りされたシュリンプピンクの色はファッショナブルな布地の流行色であった。その縁取りと同じ赤色の麦藁帽子(お洒落な紫色のフルーツ飾りを付けている)を被り、同系色のスカーフを巻いて、赤と淡いピンク色の二重奏でまとめている。一方の男の方は年上で、セーヌのボート漕手の服装をしており、青の系統で上下を揃え、青紫の補色である黄色の帽子と靴がアクセントを添えている。けっして上流階級ではないが野暮ではない温かい雰囲気がブージヴァルという土地のイメージと共鳴しているようだ。ここには三原色と白が絡み合う色彩の饗宴があり、見る者に鮮烈な印象を与えるが、何といってもこの絵のハイライトは女性の顔であろう。羞じらいを含んだ伏し目がちな繊細な表情が魅力的で、男性は吸い込まれるように顔を近づける。ダンスで抱擁と接吻を余儀なくされる瞬間、それを抑制するように控え目に応じる彼女の姿態は、女性を描かせたら他の印象派画家を寄せ付けないルノワールの面目躍如といったところであろう。「生きることの喜び」が画面いっぱいに広がる作品である。
東京富士美術館 館長 五木田聡(ごきたあきら)/「光の賛歌 印象派展」カタログ所収

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