SUMMARY作品解説
江戸時代の相撲界では、地方から巨人や怪童を集めてきて、一人土俵入りをさせる興行があった。鬼若力之助もその一人で、上総国武射郡(現在の千葉県山武市)の出身である。鬼若が怪童力士として初土俵を踏んだのは1850年11月。添え書きには当時八歳、身の丈四尺(121cm)、体重十八貫目(68kg)あったと書かれている。こうした子ども力士の多くは、その後正規の力士とならずに引退したが、鬼若は明治5年3月に入幕し、明治7年には「勝ノ浦与一右エ門」と改名し、明治16年5月まで場所をつとめた。最高位は東前頭筆頭。
ARTIST作家解説
歌川国芳
Utagawa Kuniyoshi1797-1861
12歳の頃に描いた鍾馗図が初代歌川豊国の目に止まり、程なく豊国門に入る。20代は不遇の時を過ごすが、31歳の頃、《通俗水滸伝豪傑百八人之一個》を版行。これが人気を呼び、「武者絵の国芳」と称された。役者絵、美人画、風景画と何でもこなしたが、中でも3枚続のパノラマな構図の武者絵や歴史画、ウィットに富んだ戯画は大衆の心をつかんだ。親分肌な人柄から落合芳幾、月岡芳年、河鍋暁斎ら多くの優秀な門人を集めた。
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