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COLLECTION DETAILS収蔵品詳細

英雄大倭十二士 楠河内判官正成 Kusunoki Kawachi-hangan Masashige, from the series Japanese Heroes for the Twelve Signs

安政1年(1854)/木版多色刷 大判錦絵

37.0×25.8cm

貸出中

江戸から近代へ─東京富士美術館浮世絵所蔵展

会期:2025年03月29日 (SAT)2025年05月25日 (SUN)

創価美術館(台湾、高雄)

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教育 非商用 商用

SUMMARY作品解説

楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将。後醍醐天皇とともに鎌倉幕府を倒し、建武の新政の立役者となった。その後足利尊氏の挙兵に対し、勝ち目の無い戦ながら、最後まで天皇に付き従い、湊川の戦いで討ち死にした。足利尊氏も正成の死を「誠に賢才武略の勇士とはこの様な者を申すべきと敵も味方も惜しまぬ人ぞなかりける」と惜しんだという。その後この時代を書いた物語「太平記」が大流行すると、楠木正成の忠孝と軍略が後世の手本とされた。江戸時代に起こった赤穂浪士の討ち入りを題材にした「仮名手本忠臣蔵」の大星由良助(大石内蔵助)は、まさに楠木正成の生まれ変わりのような存在として庶民の人気を博したという。「大楠公の歌」は楠木正成と息子正行の桜井の駅での別れを題材としている。

ARTIST作家解説

歌川国芳

Utagawa Kuniyoshi1797-1861

12歳の頃に描いた鍾馗図が初代歌川豊国の目に止まり、程なく豊国門に入る。20代は不遇の時を過ごすが、31歳の頃、《通俗水滸伝豪傑百八人之一個》を版行。これが人気を呼び、「武者絵の国芳」と称された。役者絵、美人画、風景画と何でもこなしたが、中でも3枚続のパノラマな構図の武者絵や歴史画、ウィットに富んだ戯画は大衆の心をつかんだ。親分肌な人柄から落合芳幾、月岡芳年、河鍋暁斎ら多くの優秀な門人を集めた。

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