1905年、パリ(1882年初版)/エッチング
SUMMARY作品解説
本作は1882年、マネの生涯最後となるサロンへ出品されたうちの1点である《春(ジャンヌ)》(J.ポール・ゲッティ美術館蔵)に由来している。原作は、親友アントナン・プルーストから発注されたもので、当初は四季になぞらえた4点の作品を制作する計画であった。同作以外に《秋(メリー・ローランの肖像)》(ナント美術館蔵)と題した作品が残っている。モデルは女優のジャンヌ・ドマシー。マネは同作の制作にあたり新たに帽子を購入し、モデルにプレゼントしたという。晩年のマネは病を発症し、療養でパリを離れることも多かったが、見舞いに来る女性をモデルに筆をとるなど、美しいもの、新しいものへの関心は最期まで衰えることはなかった。
ARTIST作家解説
エドゥアール・マネ
Édouard Manet1832-1883
パリ生まれ。トマ・クチュールの画塾で学ぶ。ディエゴ・ベラスケス、フランシスコ・デ・ゴヤなどのスペイン絵画のもつ強烈な明暗法や表現力に感化され、新しい表現方法を試みた。1863年のサロンに落選した《草上の昼食》(オルセー美術館蔵)が、いわゆる落選展に出品され、スキャンダルとなり、2年後のサロンに入選した《オランピア》(同館蔵)とともに激しい非難を浴びた。「カフェ・ゲルボワ」での集いを中心にクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールとも交友し、印象派の生みの親と言われる。彼の芸術の本領は人物画にあり、近代生活を新鮮な感覚と明快なタッチで描出するのが得意であった。
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