1905年、パリ(1871年初版)/エッチング
SUMMARY作品解説
1870年の7月、隣国プロイセンが宣戦布告し、普仏戦争が始まると、翌71年2月、プロイセン軍はパリへ入城した。フランス政府軍は降伏したが、その後、政府に反発するパリ市民によるパリ・コミューンと政府軍との間で内戦が起こり、死者3万人という「血の1週間」を経て、ようやく混乱はおさまった。マネはこの間、家族をスペイン国境近くに疎開させ、ドガとともに軍に入隊すると、パリの防衛にあたった。本作は、戦乱によって食糧難を極めるパリの一角で、肉屋に殺到する市民の列を捉えたもの。揺れ動く時代の中で、眼前に広がる現実の光景を描き止めようとするマネの意気が伝わってくるようだ。
ARTIST作家解説
エドゥアール・マネ
Édouard Manet1832-1883
パリ生まれ。トマ・クチュールの画塾で学ぶ。ディエゴ・ベラスケス、フランシスコ・デ・ゴヤなどのスペイン絵画のもつ強烈な明暗法や表現力に感化され、新しい表現方法を試みた。1863年のサロンに落選した《草上の昼食》(オルセー美術館蔵)が、いわゆる落選展に出品され、スキャンダルとなり、2年後のサロンに入選した《オランピア》(同館蔵)とともに激しい非難を浴びた。「カフェ・ゲルボワ」での集いを中心にクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールとも交友し、印象派の生みの親と言われる。彼の芸術の本領は人物画にあり、近代生活を新鮮な感覚と明快なタッチで描出するのが得意であった。
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