1905年、パリ/エッチング
SUMMARY作品解説
マネと詩人シャルル・ボードレールは、マネ家と親しかった人物を介して、1859年頃から交友をもっていたようだ。本作は、マネが1862年に制作した代表的な群像である《チュイルリー公園の音楽会》(ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)の中に描かれたボードレールのフォルムを踏襲している。マネはこの他にもボードレールに関するエッチングを4点制作している。マネにとって、ボードレールは初期時代の大事な理解者であり、擁護者であったが、1867年に彼が没すると、それに代わる存在として、作家のエミール・ゾラがマネを擁護することとなる。そしてゾラが意見を変えた際には詩人ステファン・マラルメがそれにとって代わるのである。
ARTIST作家解説
エドゥアール・マネ
Édouard Manet1832-1883
パリ生まれ。トマ・クチュールの画塾で学ぶ。ディエゴ・ベラスケス、フランシスコ・デ・ゴヤなどのスペイン絵画のもつ強烈な明暗法や表現力に感化され、新しい表現方法を試みた。1863年のサロンに落選した《草上の昼食》(オルセー美術館蔵)が、いわゆる落選展に出品され、スキャンダルとなり、2年後のサロンに入選した《オランピア》(同館蔵)とともに激しい非難を浴びた。「カフェ・ゲルボワ」での集いを中心にクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールとも交友し、印象派の生みの親と言われる。彼の芸術の本領は人物画にあり、近代生活を新鮮な感覚と明快なタッチで描出するのが得意であった。
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