1905年、パリ(1862年初版)/エッチング
SUMMARY作品解説
本作は1860年から61年にかけ制作された原作(個人蔵)を左右を反転させて版刻されたもの。少年の喜ぶ表情など細かなところまで正確に描写している。マネは17歳の頃、家にピアノを教えにきていたシュザンヌ・レーンホフと1863年10月、結婚した。彼女の息子レオン・レーンホフ(戸籍上は弟とされていた)の父はマネと推測される。レオンは《剣を持つ少年》(1861年/メトロポリタン美術館蔵)、《シャボン玉を吹く少年》(1867年/グルベンキアン美術館蔵)、《昼食(アトリエにて)》(1868年/ノイエ・ピナコテーク蔵)などでもモデルを務めたが、その特徴的な顔立ちから本作も同じくレオンがモデルであると思われる。
ARTIST作家解説
エドゥアール・マネ
Édouard Manet1832-1883
パリ生まれ。トマ・クチュールの画塾で学ぶ。ディエゴ・ベラスケス、フランシスコ・デ・ゴヤなどのスペイン絵画のもつ強烈な明暗法や表現力に感化され、新しい表現方法を試みた。1863年のサロンに落選した《草上の昼食》(オルセー美術館蔵)が、いわゆる落選展に出品され、スキャンダルとなり、2年後のサロンに入選した《オランピア》(同館蔵)とともに激しい非難を浴びた。「カフェ・ゲルボワ」での集いを中心にクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールとも交友し、印象派の生みの親と言われる。彼の芸術の本領は人物画にあり、近代生活を新鮮な感覚と明快なタッチで描出するのが得意であった。
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