1905年、パリ/エッチング
SUMMARY作品解説
本シリーズは出版業者兼画商であったアルフレッド・シュトレーリンにより100部限定で版行されたもので、タイトルページ中央にはマネの友人のアンリ・ファンタン=ラトゥールによる《ドラクロワ礼讃》(オルセー美術館蔵)に描かれたマネの肖像が掲げられている。マネは1862年の「腐蝕銅版画協会」創立にも参加し、初期の頃からエッチングを中心に自身の作品に関する版画を制作してきた。その動機は浮世絵やスペイン画家ゴヤの影響、自身の作品イメージの喧伝など様々考えられるが、制約を設けず、あらゆる手段を用いて作品を残そうとした彼自身の近代的理念に基づいていたとも言えるかもしれない。 本シリーズの序文にはマネと深い交友のあった批評家テオドール・デュレによる下記のような文章が掲載されている。 序文:マネは、初期の1860年から1866年にかけて、エッチング師として多くの作品を残した。この時代に彼はスペイン人をモデルにすることを好んでいたが、実際にスペインに旅行するのは1865年になってからである。したがって、スペインを題材にした作品は、ピレネー山脈のこちら側、フランス側で制作されたことになる。モデルは、数年にわたってパリに興行にやってきた一座のダンサーや歌手であった。ここに集めた30点の作品は、100部完全限定版である。原版は破壊されている。作品は出来る限りの範囲で年代順に整理されている。マネの版画作品の中で最古とされている《シレンティウム(沈黙)》を最初の一群の中に置き、次に1961年作の《カンプルービ》、そして最後の1882年作の《ジャンヌ》までを網羅している。『19世紀の版画師たち』の著者ベラルディ氏は、マネのエッチングに関して当時存在していたものの中で最も完全なカタログを、同書の中で提示している。以下のカタログでは、それぞれの作品の番号に、ベラルディ氏のカタログ番号を「B. xx」として掲載した。 テオドール・デュレ
ARTIST作家解説
エドゥアール・マネ
Édouard Manet1832-1883
パリ生まれ。トマ・クチュールの画塾で学ぶ。ディエゴ・ベラスケス、フランシスコ・デ・ゴヤなどのスペイン絵画のもつ強烈な明暗法や表現力に感化され、新しい表現方法を試みた。1863年のサロンに落選した《草上の昼食》(オルセー美術館蔵)が、いわゆる落選展に出品され、スキャンダルとなり、2年後のサロンに入選した《オランピア》(同館蔵)とともに激しい非難を浴びた。「カフェ・ゲルボワ」での集いを中心にクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールとも交友し、印象派の生みの親と言われる。彼の芸術の本領は人物画にあり、近代生活を新鮮な感覚と明快なタッチで描出するのが得意であった。
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