明前期(14-15世紀)/
高38.1cm、口径6.0cm、胴径24.0cm、底径11.8cm
SUMMARY作品解説
胴の曲線と濃緑色の青磁釉が美しい。このように胴部上半が膨らんだ酒瓶は「梅瓶」と呼ばれる。2006年に行われた龍泉市大窯村の楓洞岩(ふうどうがん)窯跡の発掘調査で、明時代前期の官器が発掘されたことにより、そこが官器を製作する中心的な窯であったことが判明した。ここからは宝珠形の摘みが付く蓋を伴った同様の梅瓶が発掘されており、また同じ形態の景徳鎮窯製青花磁器も存在していることから、この梅瓶も官器であると考えられる。
ARTIST作家解説
龍泉窯
Long-quan Ware
唐時代から清時代の窯。窯跡は、浙江省麗水市龍泉市を中心に広く分布。唐時代から、青磁のほか黒釉も生産。青磁の本格的な生産は北宋時代に始まり、灰色がかった淡い色の釉調、淡青釉が特徴で、実用器のほか多嘴壺などの明器が作られた。北宋時代後期には緑青色の釉色が多くなり、南宋時代には明るい青色、粉青色の青磁(砧青磁)が出現する。元時代には、酒会壺や盤などの大型品も作られるようになり、貼花文や刻花文などの器面装飾が多用され、青緑色の青磁(天龍寺青磁)が主流となる。明時代前期には碧緑色の上質な青磁(七官青磁)も生産されたが、中国陶磁の主流は青磁から景徳鎮窯の青花磁器や五彩磁器に移っていく。また、北宋時代末期以降、海外に広く輸出され、わが国にも多数請来されている。日本に向けて出航し1323年頃に沈没した、韓国の新安沖沈船から引き揚げられた約22,000点の陶磁器のうち、龍泉窯青磁は約80%を占める。