明前期(15世紀)/
高33.0cm、口径24.0cm、胴径31.2cm、底径19.3cm
SUMMARY作品解説
底のない胴部を作り、鉢形の底部を内側から落とし込み、釉薬をかけて焼成し底部を融着させる。この製作技法は、南宋時代から明時代にいたる龍泉窯の大型製品に用いられている。明時代前期の濃い青緑色の青磁は、日本で「天龍寺青磁」と呼ばれ、これを納める木箱の蓋表にも「天龍寺花瓶 壱」と墨書される。名称については、天龍寺造営資金調達のための貿易船が、この類の青磁を日本にもたらしたことに由来するなど、諸説ある。
ARTIST作家解説
龍泉窯
Long-quan Ware
唐時代から清時代の窯。窯跡は、浙江省麗水市龍泉市を中心に広く分布。唐時代から、青磁のほか黒釉も生産。青磁の本格的な生産は北宋時代に始まり、灰色がかった淡い色の釉調、淡青釉が特徴で、実用器のほか多嘴壺などの明器が作られた。北宋時代後期には緑青色の釉色が多くなり、南宋時代には明るい青色、粉青色の青磁(砧青磁)が出現する。元時代には、酒会壺や盤などの大型品も作られるようになり、貼花文や刻花文などの器面装飾が多用され、青緑色の青磁(天龍寺青磁)が主流となる。明時代前期には碧緑色の上質な青磁(七官青磁)も生産されたが、中国陶磁の主流は青磁から景徳鎮窯の青花磁器や五彩磁器に移っていく。また、北宋時代末期以降、海外に広く輸出され、わが国にも多数請来されている。日本に向けて出航し1323年頃に沈没した、韓国の新安沖沈船から引き揚げられた約22,000点の陶磁器のうち、龍泉窯青磁は約80%を占める。