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COLLECTION DETAILS収蔵品詳細

接吻 The Kiss

原型1886年、鋳造1918年以前/ブロンズ

高73.0cm、幅44.0cm、奥行45.0cm

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教育 非商用 商用

SUMMARY作品解説

オーギュスト・ロダンによるこのブロンズ彫刻は、ダンテの叙事詩『神曲』を主題とした《地獄の門》を装飾する主要モチーフのひとつとして構想されたものである。しかしながら、男女の甘美な幸福の表現が地獄の悲劇的なテーマと相いれないと判断したのか、ロダンは最終的に本作を《地獄の門》の構成から外し、のちに単独の彫刻として発表した。本作は、『神曲』地獄篇に登場するパオロとフランチェスカの悲恋物語を主題とする。13世紀、ラヴェンナ領主は政略結婚のために、娘フランチェスカをリミニ領主の長男ジャンチョットに嫁がせようとする。ジャンチョットは容姿に難があったため、娘が嫌がるのを恐れたラヴェンナ領主は、ジャンチョットの弟で美男のパオロを見合いの席に寄越させる。パオロを見たフランチェスカは彼に一目惚れし、パオロもまた彼女に恋をした。しかし、両家の婚約がなされて嫁いでみると、結婚相手は長男ジャンチョットのほうであった。今さら破談にもできず、彼女は悲嘆に暮れつつもジャンチョットとの生活を始めるが、結婚後も二人の想いは募る一方であった。結婚から10年後、ジャンチョットが仕事でしばらく町を離れた間に、二人の仲は急速に縮まる。ある日二人は部屋で『アーサー王物語』を読み合っていた。騎士ランスロットと王妃の不義の恋の部分に差し掛かったとき、二人はお互いへの愛を自覚し、パオロはついにフランチェスカを抱き寄せ、接吻を交わした。しかし、二人の関係を怪しみ、密かに戻っていたジャンチョットにその場を見られてしまい、激怒した彼によって、二人とも刺し殺されてしまう。この話には誇張もあるが、当時実際に起こった事件で、ダンテはこの二人を『神曲』のなかで、「愛ゆえに身を滅ぼし、風に運ばれて永遠にさまよう魂」として描いたのである。

ARTIST作家解説

オーギュスト・ロダン

Auguste Rodin1840-1917

パリに生まれる。14歳で帝室素描・数学専門学校(国立高等装飾美術学校の前身)に進み、オラス・ルコック・ド・ボワボードランに学ぶ。その後、エコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)を3度志すも失敗。1865年から1870年にかけてアルベール=エルネスト・カリエ=べルーズのアトリエで働き、1871年からは共にブリュッセルの証券取引所など公共の建築装飾に携わる。1875年、イタリアを旅行し、ミケランジェロ作品に深い感銘を受ける。1877年、サロンに《青銅時代》を出品し、人体を型どったとの嫌疑をかけられるが、翌年のサロンに等身大よりも大きい《説教する洗礼者聖ヨハネ》を出品し、批評家らの批判に反駁した。徐々に名声を獲得し、1880年代に入り、《地獄の門》《カレーの市民》《バルザック像》など相次ぎ重要作品の注文を受ける。この時期、《考える人》《接吻》などの代表作も誕生した。亡くなる前年の1916年、国立ロダン美術館の基礎となる自らの作品に加え、自筆原稿、手紙などの資料類を寄贈した。1917年1月に長年連れ添ってきたローズと正式に結婚。3週間後、ローズは亡くなり、ロダンも同年11月にパリで没した。

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