アントワーヌ=フランソワ・カレ( Antoine-François Callet)の作品が 1件見つかりました。
Antoine-François Callet 1741-1823
フランス革命前夜から復古王政初期まで活動した歴史画家で、古典古代文学のテーマや同時代の事件を古代の神々を交えて描いた。さらに国王の肖像画なども制作したが、新しい美術の潮流には関心を払わず伝統的な手法を踏襲し、古色蒼然とした印象は否めない。 1764年に《ユノ神殿に母親を車で連れていくクレオビスとビトン》(パリ、国立高等美術学校)でローマ賞大賞を受賞した。これはヘロドトスの『歴史』(第一巻)に記された、クレオビスとビトンの二兄弟が、母親が巫女を務めるユノ(ヘラ)神殿まで長い道のりを牛に替わって車を引いて連れて行ったという子どもの母親への愛情を示す逸話で、トマ・ブランシェなどフランス画家が17世紀以来描いてきたテーマである。 歴史画家として1777年に美術アカデミーの準会員となり、1780年に《春、キュベレに花を飾るゼフュロスとフローラ》で正会員になった。この作品はシャルル・ル・ブランが企てて未完のままに残されたルーヴル宮殿の「アポロンの間(ギャラリー)」を飾る四季連作のひとつで、翌年のサロンに展示され、今もアポロンの間の天井を飾っている。現在は王冠などの宝飾品が展示されているこのギャラリーの天井装飾は、長年未完のままだった中央部分をドラクロワが《大蛇ピュトンを殺すアポロン》を描いたことで、1851年にようやく完成した。カレは、その後、ジェノヴァを訪れてスピノーラ宮殿の天井画の制作をして、帰国後は肖像画、とくに国王ルイ16世の肖像や古代趣味の作品を描いた。1785年のサロンに出品した《ヘクトルの死体を引いてトロイアの市壁を回るアキレウス》(『イーリアス』22)(ルーヴル美術館、保存状態悪し)やゴブラン織りの原画となった「四季」連作は、その代表的なものである。 フランス革命後は、古代趣味の作品を描きつつ、ナポレオン・ボナパルトの輝かしい軍功を寓意画に仕立てることに精力を注いだ。《マレンゴの戦い》、《アウステルリッツの戦い》、《ウルムの降伏》、これらはいずれも1800年から1815年の制作で、ヴェルサイユ宮殿美術館にある。復古王政期にはかつてのアカデミー会員、つまり国王付き画家として何点か作品の注文を受けた。 1823年に亡くなったとき、芸術や文学を扱った日刊紙『ラ・パンドール La Pandore』の追悼文は次のように記している。 「カレ氏の才能は古い時代の流派を想起させるものである。表現様式(スティル)の欠如と色彩の弱さがこのアカデミー会員の大きな欠点で、ルイ15世時代の芸術の伝統として復活したフランス画派の体現者として、今日まで活動してきた。紳士たるにふさわしい美徳を備えたカレ氏は、たくさんの良き友人に恵まれ、その死が悼まれることだろう」。