アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンの工房( Workshop of Anne-Louis Girodet-Trioson)の作品が 1件見つかりました。
Workshop of Anne-Louis Girodet-Trioson 1767-1824
アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンは、革命期から復古王政期の時代に活動して、新古典主義美術の洗礼を受け、年とともにロマン主義美術を先取りする作品を制作した。 ジロデはオルレアン公の領地の監督官を務めた父に、若くしてパリに送られて、家族の友人であったトリオゾン博士の庇護を受け、父の歿後、その養子になった。1785年にダヴィッドのアトリエに入門し、1789年に《兄たちに正体を明かすヨセフ》(パリ、国立高等美術学校)でローマ賞大賞を得て、さらに《十字架降下》(モンテスキュー=ヴォルヴェストル聖堂)は、ロマン主義的な宗教画の先駆とされる。 1790年にローマに向かい、翌年に描いた《エンデュミオンの眠り》(ルーヴル美術館)は1793年のサロンに展示されて、大成功を収めた。1797年に帰国して、生活のためにウェルギリウスの『アエネイス』の挿絵などを描き、肖像画も制作した。カリブ海のフランス領サン=ドマングの代議士となった黒人をモデルにした《ジャン=バチスト・ベレ》(ヴェルサイユ宮殿美術館)はそのひとつで、1798年のサロンに展示された。黒人の解放に関わる作品で、ジロデの政治的信条を表明した作品である。鋭い輪郭線を用いた明快な造形に対し、どこか不安を生み出す効果の表現に、ダヴィッドとは異なるジロデの個性が示される。 1801年にマルメゾンの城館のために第一統領ナポレオンから注文された《祖国のために死んだフランスの英雄たちへの礼讃》(マルメゾン宮殿美術館)は、当時人気を集めていた北方の叙事詩『オシアン』に霊感を得て共和国の歴史の一幕を描いたものであった。この作品は《洪水》(1806年、ルーヴル美術館)やシャトーブリアンの小説を主題にした《アタラの葬送》(1808年、ルーヴル美術館)とともに、ダヴィッドの古代ギリシア・ローマの英雄の世界を手本とする表現に替わる新しい世代の美術の代表者として、ジロデの評価を決定づけた。ナポレオンのエジプト遠征を題材にした《カイロの反乱》(1810年、ヴェルサイユ宮殿美術館)は、オリエントや異国へのフランスの画家の関心を表明する早い時期の作品である。 1814年のサロンに15点の作品を展示した翌年の1815年に、ジロデは美術アカデミーの会員に選ばれた。かれは文学的才能にも恵まれて詩を書き、同時代の芸術家たちとの多くの書簡を残した。