朝服(礼服)を着た孝賢純皇后の肖像。雍正5年(1727)、皇帝の命により15歳で第4皇子・弘暦の正妻となり、弘暦が乾隆帝として即位すると皇后となった。本作は皇后に封ぜられた24 歳の時に描かれたもの。乾隆帝とは互いを尊敬しあい仲の良い夫婦であったと伝えられる。
清代では、紫禁城で大婚の典礼を行った皇帝は、順治、康熙、同治、光緒の4人だけである。本作は、光緒帝の大婚の様子が図とともに記録されており、清代の宮廷儀礼のあり様を今日に伝える貴重な資料である。
本作は梅の幹を墨を重ねてぼかし、花は赤い濃淡のぼかしで描いている。これは輪郭線を用いない没骨という中国の伝統画法だが、同時に幹は光の効果と立体感の表現に注意しており、西洋の明暗画法の影響も窺える。右上に「寒香独占上林春。光緒甲辰嘉平上浣御筆」の題、中央上に「慈禧皇太后之宝」朱文方印がある。
珍妃は光緒帝の寵妃で、光緒20年(1894)に妃に封ぜられた。光緒26年(1900)北京で義和団事件が起ると、慈禧皇太后(西太后)は光緒帝と西安に逃がれる前に珍妃を井戸に沈めた。翌年、皇貴妃に追封された。后妃たちが用いた印はその位に応じてデザイン、サイズ、素材などが細かく定められていた。
上記の展示品:北京・故宮博物院蔵