安徽省(あんきしょう)の都・合肥から、曹操の生まれ故郷、亳州(はくしゅう)まで車で約5時間の道のりでした。私のとなりには安徽省博物館の女性副館長、黄さんが乗っていました。黄さんは車に乗ると同時に話し始め、そのカナリアのような高い声をすきまなく聞いてしまったせいか、私の耳に異変がおこりはじめていました。「このままではいけない、場面をかえなければ」と思い。私は「美しい声ですね、ソプラノ歌手のようですね」といいました。彼女は「真剣に歌手になろうと考えた時期があったんですよ」と。そこで私は、「日本の歌で、北国の春という歌知ってますか」と聞きました。黄さん、「知ってますよ。でも残念だけど歌えないんです」。「じゃあ教えてあげましょうか」と私。黄さんから中国語の発音を教えてもらい、私は黄さんに懇切丁寧に本場の「北国の春」を伝授しました。亳州に着いた頃にはお互いに流ちょうに歌えるようになり、カナリアさんは日本語、私は中国語で、何度も練習の成果を披露しあうほどになっていました。
さてそこで、亳州。安徽省西北側にひろがる平原のなかの街で、ここは魏の国を建てた曹操の生まれ故郷。歴史的な建築物が多く、商店街には薬材を売る店が多くみられました。なかでも漢方の白芍薬の生産量は中国一で、芍薬の花が咲く季節になると、近郊にひろがる花畑は花霞のようだと言われています。
また、旧城の南には曹操の祖父、曹騰(そうとう)や父、曹嵩(そうすう)など親族の墓が点在していました。興味深かったのは、当時、旧城から城外への抜け道として使われたと伝えられる「曹操運兵道」とよばれる地下遺跡が今も残っていたことです。なかに入ってみると、ひんやりとした冷気が漂っていました。横幅1メートルほどのレンガ造りの狭い道になっていました。壁の所々に灯りをともすための四角い穴が穿ってありました。私たちは手探りのようにして1キロほど歩いてみました。闇のむこうから今にも曹操の軍隊がやってくるような錯覚にとらわれてしまいました。
市の博物館では、文物管理所長の魏さんが私たちの訪問を大変に喜んで下さり、しばし懇談しました。精悍な風貌。そして豪放磊落。エネルギッシュで大きな声。曹操を心から尊敬している魏さんに「曹操はどんな人だったんですか」と聞いてみました。「人材をこよなく愛し求めた人です」。「時代を先取りしていく先見の明がありました」。「偉大な詩人でした」。「私も曹操のようになりたいですな、わっはっはー」と、簡潔な答えが返ってきました。
また、「亳州では一番人気のある英雄・武将はだれですか」と聞いたところ、
「亳州の人は、もちろん、みな曹操を尊敬していますよ」と。
魏さんと話していると、ひょっとして曹操は魏さんのような風貌だったのかもしれない。と思うようになりました。リップサービスが過ぎるかなと思いましたが、「今日は現代の曹操にお会いしたような気がします」と私。「そうですか、私も曹操に似ていると思うんだよ、ひょっとして私は曹操の生まれ変わりかもしれないな。わっはっはー」。
その後、魏さんの案内で博物館や旧跡を見学。
明時代に建てられた花戯楼と呼ばれる古い建物の中には、立派な観劇の舞台があり、欄干には三国志演義の「赤壁の戦い」や「空城の計」などの名場面が見事な彫刻で飾られていました。今も三国志の劇に夢中になる庶民の拍手喝采が聞こえてくるようでした。
この一級文物(国宝)が日本で初公開できることになったことを、このブログを読んで下さった読者の方だけには事前にお知らせします。おたのしみに。
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