孔明が罷免した人物—李厳の場合(1)
次に指導者としての孔明が罷免した人物に関するエピソードを見てみたい。まずは李厳(字は正方)である。
李厳は荊州の南陽出身で、劉表に仕えていたが、曹操が荊州に侵攻すると益州に逃げ込み劉璋に仕えていた。成都の令として有能だったが、劉備が侵入してきた際に緜竹の守備を任されるとすぐに降伏した。劉備が亡くなる際には、孔明と共に劉禅を託された人物である。
ところが、この李厳という人物は、劉備から劉禅を託されたにもかかわらず、自らの地位を高め、財産を貯えることを第一義として動くところがあった。『三国志』巻40李厳伝裴注所引『諸葛亮集』には、李厳が孔明に宛てて「九錫を受けて王を称する」ことを薦めた手紙があるとし、それに対して孔明は次のように答えたという。
魏を滅ぼして曹叡を斬って帝が洛陽にお帰りになり、あなた方と共に昇進するならば、(実際にはあり得ない)十命でもお受けしましょう。九錫などは遠慮しませんよ。
九錫とは、皇帝が臣下を優遇するために与えた九種類の特典のことである。魏晋南北朝時代では、有力者が皇帝の位を譲られる前に九錫を受けて王を称することが最終段階だと考える者も多かった。李厳の手紙も、孔明に将来の皇帝即位を薦めたものと読むことも可能であった。それに対して孔明は、ユーモアも交えてではあるが即座に否定したのである。
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