今回は、孔明が示した指導者の責任について見てみたいと思います。
第一次北伐が馬謖の失態によって失敗に終わった後、姜維を含む魏の隴西・南安の2郡の士女数千人を蜀に送りました。蜀漢ではその「功績」を祝賀しようという空気がありましたが、孔明は次のような一文を書いて答えたといいます。
天下で、漢の民でないものはいない。しかし、国家の力が足りないので、人々を山犬や狼の口に苦しむような目に合わせている。(そのために)一人の人が死んでしまっただけでも、私の罪である。このようなことで祝賀されては、恥としないわけにはいかない。
「一人の人が亡くなっただけでも、自分の罪」—孔明はここまでの責任感をもって国家という組織を運営していたのです。「指導者は全ての責任をとる。いかなる犠牲者も出さないのだ」という覚悟、指導者である自分自身への厳しさはすさまじいものがあります。私自身も含めて、一人ひとりが肝に銘じていかなければならないと思うのです。
※この話は『三国志』巻三十五諸葛亮伝の裴松之の注に引用された郭沖『四事』に載っておりますが、この話を引用した裴松之本人が「郭沖の話は事実との食い違いが多い」としていることに注意しなければなりません。しかし、この発言に関しては事実ではないという証拠もないので、とりあえず事実と考えておきたいと思います。
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