(?〜246年)「諸葛亮の後継者」
常に諸葛亮と比較されながらも、自分を見失うことなく政務に取り組み、北伐にも挑もうとした「偉大なる諸葛亮」の後継者。
字は公。零陵郡の出身。劉備に仕えて、広都県の長となった。あるとき、たまたま劉備が立ち寄ると、仕事をせず泥酔していたため、劉備から処罰されそうになるが、諸葛亮に「彼は国家を担う器であって、百里を治めるような人物ではない」とフォローされ、免官ですんでいる。劉備の死後、北伐を行う諸葛亮のもとで首都・成都における政務をつかさどり、兵糧を前線に送り続けたが、これは劉備の生前に諸葛亮が担当していた職務である。諸葛亮が亡くなると、彼の遺言により後継者となって政権を担当し、北伐を実施しようとしたが、彼自身の病や周囲の反対にあって実行できないまま没した。
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