陸遜(183〜245年)「呉の大黒柱」
荊州に駐屯し、呉の軍事・政治を一手に引き受けた大黒柱だが、後継者問題の中で憤死。
字は伯言。呉郡呉県の人。陸氏は名族である「呉の四姓」の一つ。父の死後、一族の陸康のもとに身を寄せていたが、孫策が陸康を攻めて殺す前に一族を率いて呉に戻った。のちに孫権に仕え、孫権は陸遜に孫策の娘と結婚させ、陸氏と和解し関係を強めた。関羽との荊州での争いでは、呂蒙の代わりに赴任して関羽を油断させて勝利を収めた。劉備が攻め寄せてくると、これを夷陵で破った。その後、荊州に駐屯し、呉の軍事・内政・外交を支え、顧雍の死後は荊州にいたまま丞相となった。しかし、孫権の後継者争いに巻き込まれ、年長の孫和を支持したが、疑いを持った孫権から何回も詰問の使者を送られて憤死。
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