満寵(?〜242年)「魏の東方防衛担当テクノクラート」
政治力に秀でた名太守であっただけでなく、のちに魏の東方の国境防衛を担当して呉の攻撃を防ぎ続けた名将。
字は伯寧。山陽郡昌邑県の人。曹操が州の牧になったとき(192年)に仕え、都となった許の令、汝南太守を歴任し、身分・勢力に関係なく法を犯した者を厳格に取り締まって安定した統治を行った。赤壁で曹操が敗れると、当陽に駐屯して劉備・孫権連合軍をおさえる役割を担う。219年には、曹仁と共に樊城を関羽の攻撃から守りきった。曹丕の時代以降、高齢で都に召還される238年まで呉との戦いを担当し、揚州などの防衛に尽力して呉軍の攻撃を防ぎきった。
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