郭淮(?〜255年)「魏の西方防衛担当テクノクラート」
魏の西方防衛を担当し続け、異民族にも慕われた名将にして、諸葛亮・姜維を防いだ真の立役者。
字は伯済。太原郡陽曲県の人。建安年間に孝廉に推挙された後、徐々に昇進し、曹操の漢中征討に随行(215年)。その後、漢中に残されて夏侯淵の司馬となった。夏侯淵が劉備と戦ったときは病気だったが、夏侯淵が殺されると散り散りになった兵をまとめ、張を軍主に押し立てて混乱を収め、劉備を防いだ(219年)。その後、反乱した蛮族を討伐して関中を平定し、諸葛亮の北伐も押さえ込んでいる。231年の諸葛亮の北伐の際は、隴右地方に兵糧がなかったが、羌族を帰順させて兵糧を供出させた。五丈原の戦いでも街道を狙った諸葛亮の戦略を読みきって先回りして北原を防ぐなど、司馬懿を支えて諸葛亮を撤退させた真の立役者だった(234年)。さらに姜維の北伐もたびたび防ぐなど、255年に亡くなるまで、魏の西方防衛を担当し続けた。
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