曹騰(?〜160年頃)「孫のおかげで“宦官皇帝”」
清濁併せ呑み権力闘争激しい宮廷内で30年以上無事に勤め上げた宦官。
字は季興。安帝(在位106〜125年)の時代に宦官として宮廷に出仕。鄧太后に仕え、皇太子・劉保の勉強相手をつとめる。鄧太后が亡くなり鄧一族が失脚すると、劉保も皇太子の座からおろされるが、宦官たちが決起して劉保を即位させる(順帝)と、曹騰も抜擢される。その後も長きに渡って宮廷で無事に勤め上げ、質帝が暗殺された後には外戚の梁冀に劉志をおして即位させる(桓帝)など重要な役割を演じている。また、曹騰が推薦して高官となった士大夫もおり、彼らとの人脈が「宦官の孫」とされる曹操に恩恵をもたらすことになる。明帝(曹叡)の時代に高皇帝という尊号を贈られた。館長のブログ「曹操の故郷、安徽省亳州」にもあるように、今回の大三国志展では日本ではじめて曹氏一族墓から出土した曹騰、もしくは息子の曹嵩のものとされる銀縷玉衣(玉と銀のひもで作られた死者を覆う衣装)が展示される予定である。
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