先日、RYUさんが「脾肉の嘆」と題して書かれた文章の中に、館長や私のことを三国にたとえると大国である魏や呉、ご本人は赤壁の戦いの前の劉備の状態だとされていましたが、ここで三国の国力差について少し考えてみたいと思います。
普通に考えれば、三国の中で圧倒的に強いのは魏になります。面積、人口、兵士数などは他の2国とは比較にならないほど多いのです。魏に続くのは、普通に考えれば呉になるでしょう。そして、数字の上では蜀が最も劣ることになります。最近では、金文京先生の『中国の歴史04 三国志の世界』(講談社 2005年)167〜168ページにもそのように書かれております。
しかし、ここで注意しておかねばならないことがいくつかあります。まず、魏の領土は群雄同士の争いが激しかった地域であり、生産力や人口の落ち込みがひどかったと推測されることです。ですから、数字を額面どおりに受け取ることは危険です。広大な面積の割に数値が低かったかもしれないのです。
次に呉ですが、ここも魏と同様に面積の割に人口が少ないことに注意する必要があると思います。さらに、江南の開発は魏晋南北朝時代以降に進んできたと考えられていることから、この時代の長江流域から南側は意外と経済的に脆弱であった可能性があります。そのためか、陳舜臣氏の『曹操残夢 魏の曹一族』(中央公論社 2005年)203ページでは呉が最も弱い国とされています。
最後に蜀ですが、ここは異常なまでに吏(役人)の数が多いことに注意が必要です。蜀の滅亡の時点での数字ですが、なんと呉よりも多いのです(蜀は4万人、呉は滅亡時点で3万2千人)。蜀の人口は呉の半分以下なのに、です。加えて、おそらくは魏よりも多いでしょう(宮川尚志先生の『諸葛孔明 「三国志」とその時代』(冨山房 1940年,桃源社 1966年,光風社出版 1984年)159ページの表では2万人と推定されています)。蜀は外部からやってきた人々が作った政権ですから、このような事態が発生したのでしょう。かなり苦しい内政事情を抱えていたと見えます。
え、「お前は三国の国力差をどのように見るか」ですって?いやあ、難しいですね。現時点での私の見解としては、とりあえず魏の国力が強いことだけは間違いないと思っています。蜀と呉は五十歩百歩というところでしょうか(このように考える理由については、もう少し書いてみたいと思っております)。ただ、それぞれに難問を抱えていましたから、国力比を数値で出しても目安にすぎず、あまり意味がないと考えております。
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