大三国志展 ── 悠久の大地と人間のロマン ──
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この「大三国志展」は、日本に生きる我々だけでなく、『三国志』に興味のある全ての国の人々にとって本当にすばらしい展覧会になることでしょう。その「大三国志展」をもっともっと皆さんに楽しんでいただけるように、研究からの視点も踏まえたうえで、小説などとは異なる『三国志』のおもしろさを少しでもお伝えしたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
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曹魏人物伝その4・曹洪
2008年03月31日
曹洪(?〜232年)「曹氏一族随一のケチ」若き日の功績は素晴らしいが、とんでもないケチで曹操と同じ財産を築く。字は子廉。曹操の従弟。董卓討伐の際、曹操が董卓の部下の徐栄に大敗すると、自分の馬を曹操に譲り、自身は徒歩で共に逃げのびた。また、徐州討伐の際に本拠地の州に呂布が攻め込むと、曹洪は本軍に食糧を送るなどの功を挙げた。曹洪はケチで有名で、曹丕が借財を申し込んでも断り、それを根にもった曹丕が帝位...
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曹魏人物伝その3・満寵
2007年12月10日
満寵(?〜242年)「魏の東方防衛担当テクノクラート」政治力に秀でた名太守であっただけでなく、のちに魏の東方の国境防衛を担当して呉の攻撃を防ぎ続けた名将。字は伯寧。山陽郡昌邑県の人。曹操が州の牧になったとき(192年)に仕え、都となった許の令、汝南太守を歴任し、身分・勢力に関係なく法を犯した者を厳格に取り締まって安定した統治を行った。赤壁で曹操が敗れると、当陽に駐屯して劉備・孫権連合軍をおさえる...
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曹魏人物伝その2・曹騰
2007年11月27日
曹騰(?〜160年頃)「孫のおかげで“宦官皇帝”」清濁併せ呑み権力闘争激しい宮廷内で30年以上無事に勤め上げた宦官。字は季興。安帝(在位106〜125年)の時代に宦官として宮廷に出仕。鄧太后に仕え、皇太子・劉保の勉強相手をつとめる。鄧太后が亡くなり鄧一族が失脚すると、劉保も皇太子の座からおろされるが、宦官たちが決起して劉保を即位させる(順帝)と、曹騰も抜擢される。その後も長...
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曹魏人物伝その1・郭淮
2007年11月19日
郭淮(?〜255年)「魏の西方防衛担当テクノクラート」魏の西方防衛を担当し続け、異民族にも慕われた名将にして、諸葛亮・姜維を防いだ真の立役者。字は伯済。太原郡陽曲県の人。建安年間に孝廉に推挙された後、徐々に昇進し、曹操の漢中征討に随行(215年)。その後、漢中に残されて夏侯淵の司馬となった。夏侯淵が劉備と戦ったときは病気だったが、夏侯淵が殺されると散り散りになった兵をまとめ、張を軍主に押し立てて...
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