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COLLECTION DETAILS収蔵品詳細

三保松原図 Miho-Matsubara

明治35年(1902)頃/絹本墨画淡彩 軸装

143.5×68.8cm

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教育 非商用 商用

SUMMARY作品解説

謡曲「羽衣」で名高い三保松原は、絵画の画題としても多く描かれてきた。手前に白砂青松、背景に富士を見る構図は今も残されている絶景といえる。この伝統的画題を雅邦は自身の近代的な感性で昇華し、輪郭線を一切排除するとともに、着彩は必要最低限にとどめ、空気遠近法を意識するかのように、前景・中景・遠景と徐々に霞んでいく様を描き、空間を表現している。箱書きには川合玉堂の手によって題字がなされ、大正6年(1917)4月に雅邦の三男である秀邦によって認められた添状が付けられていることから雅邦没後も大切にされた作品であったと推察される。

ARTIST作家解説

橋本雅邦

Hashimoto Gaho1835-1908

江戸に生まれる。父橋本養邦に狩野派の技法を学び、13歳で狩野雅信に師事。塾頭として活躍し、26歳で独立。後、アーネスト・フェノロサ、岡倉天心と知遇を得、明治21年(1888)に設立された東京美術学校に奉職。指導教官として横山大観をはじめ多く逸材を育てた。同31年(1898)に東京美術学校騒動で天心とともに下野し、日本美術院主幹となる。「近代日本画の育ての親」とも呼ばれる。

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