《源氏物語(車争)図屏風》
The Tale of Genji Rivalry of the Carriages
紙本金地着色(六曲一双) 江戸時代中期(18世紀)
153.7×362.6cm(各)
車争は「源氏物語」葵の巻にある話である。女三の宮が賀茂の斎院になり、その御契の日に源氏の君も加わることになったため、その行列を見ようとする人々で一条大路は混雑していた。源氏の君の愛人六条御息所もひそかに見物していたが、そこへ源氏の君の正妻葵の上も見物に行き、その下部たちが六条御息所の車を喧嘩ごしで押し退けてしまうという内容である。土佐派の伝統的な描法により金地に色鮮やかに物語の情景が描き出された美しい屏風絵となっている。

土佐派
Tosa School
大和絵様式を継承した画派で、漢画系の狩野派とともに日本絵画史上の2大流派を形成した。画系の基礎が築かれたのは、南北朝時代の宮廷絵所で活躍した藤原行光のころとされるが、厳密な意味での土佐派創始者は、土佐という家号を使用した土佐行広(15世紀前半に活躍)と推定される。のちに「光」を通字とする宗家から光信が出現し、旺盛な創作活動によって宗家と分家の2派に分かれた所領や地位を併合し、画家としても最高位に昇進し土佐派の確立を成し遂げた。その後は画風が次第に固定化し、狩野派などが華々しい活躍を見せた桃山時代には堺に移住して制作を続けた光吉がかろうじて流派の様式を維持した。江戸時代初期になると光則が堺から京都に移り、承応3年(1654)に光起が宮廷の絵所領となることによって土佐派再興は達成された。一方、光吉、光則の弟子如慶は、江戸に土佐派の分派である住吉派を創始した。
