盧植(?~192年)「硬骨の大学者」
学問も酒も嗜む豪快な偉丈夫で、筋を通す硬骨の人。
字は子幹。涿郡涿県の人。鄭玄と共に学者の馬融について学んだ後、帰郷して人々を教えた。博士として出仕し、九江蛮が反乱を起こすと太守となって鎮圧したが病で帰郷。再び廬江太守となって蛮夷の反乱を収め、都で出世。黄巾の乱が起こると出撃したが勝てず檻車で送還され、その後復活したが監察官の宦官に賄賂を贈らなかったため讒言され失脚。また復活したが、皇帝廃立の際に董卓に反対して殺されかけ、蔡邕の説得で取りやめになった。引退して隠棲し死去。
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