昨年から始まった「BB戦士三国伝」というマンガがあるということですが、私も単行本で読んでみました。2頭身のSDガンダムたちが演じる『三国志』という設定だそうであります。そこでは、劉備ガンダム(ガンダム)、関羽ガンダム(ZZガンダム)、張飛ガンダム(Zガンダム)による「桃園の誓い」が描かれており、傍若無人に振舞う董卓ザク(ザクⅠ〔旧ザク〕)を倒すために曹操ガンダム(ガンダムダブルエックス)や孫堅ゼフィランサス(ガンダムGP1)、そして劉備ガンダムらが力を合わせて戦うというストーリーになってきていましたが、これはこれでなかなか面白いと思って読んでおります。小学生時代にガンダムやゼータガンダムを見ていた人間としては、ついつい引き込まれるものがあります(でも、どうして「孔明リ・ガズィ」なんでしょう?)が、最近のガンダムについてはわからないので、学生さんにお聞きしながら「勉強」しております。このマンガは中国などでも読まれているそうで、これはぜひRYUさんの方で詳しくとりあげていただければ、と思います。
さて、これからは時々「指導者としての諸葛孔明」について取り上げて述べていきたいと考えております。皆さんもご承知のように、諸葛孔明(以下、「孔明」と略します)は劉備から「三顧の礼」、つまり3回も訪問を受けたとされております。この時、孔明は27~28歳。田舎暮らしをしていた青年が破格の待遇を受けて流浪の将軍に仕えたわけです。
ところで、実は孔明は劉備の生前は軍事上の策略にはまったくと言っていいほど口を出していないことに注意が必要です。その意味では、孔明は我々がイメージとして抱いている「軍師」ではありません(「軍師中郎将」とか「軍師将軍」という官職に就任していたことはありますが)。むしろ「丞相」になる前から、内政・外交を担当する劉備陣営の「参謀」であり「宰相」であったと考えたほうが正確です。
そのような立場にあった孔明が指導者として最前線に立つことになったのは、劉備の没後です。劉備は孔明に「息子・劉禅の能力が無い場合には、〝君自ら取るべし(君が自ら皇帝となるように)〟」と遺言します(この遺言には大きく分けて二つの解釈がありますが、ここでは省略させていただきます)。劉備が亡くなった時、劉禅は16~17歳。孔明は劉備のほぼ20歳下の42~43歳。この年齢差などから、私は、「孔明は事実上“劉備の後継者”」と考えております(この見方についても、いずれ書くことができれば、と思います)。
というわけで、この「孔明の指導者学」という項目では、主に劉備が亡くなった後、孔明自身が五丈原で亡くなるまでの発言やエピソードをご紹介しながら、いろいろと考えていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
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