馬超(176~222年)「西涼の錦馬超」
一時は曹操を危機に陥れた猛将だが、馬岱以外のほとんどの一族を失う。
字は孟起。扶風郡茂陵県の人。一時は父の馬騰に派遣されて曹操軍の高幹らの討伐を援助した。馬騰が韓遂と不仲になると、馬騰は都にのぼり、馬超が軍勢を統括した。韓遂らと共に曹操と戦ったが、そのために馬騰は殺され、韓遂との間を策略で裂かれて敗北。その後も曹操と戦ったが破れ張魯のもとに逃げ込んだが、すぐに不満を抱き、劉備が成都を包囲するとその誘いに乗って降伏し、軍を率いて成都にやってきたため劉璋は降伏。劉備政権の重臣となったが、47歳で死去。
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